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冨岡由理弥

ソプラノシンガー

いつも心に歌声を

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コラム

伝説のテノール

古い発声理論の本など引っ張り出してみました。
だいぶ昔に買ったは良いけれど、途中まで読んでそのままになっていたものです。
本の最後にはよくありがちなお手本のCDが付いています。
その手のものは普段見向きもしないのですが、よくよくCDを見ると・・・・

演奏:【山路芳久】

と書いてあったのを発見して、思わず声をあげました。
こんな貴重な音源が我が家にあったとは。
それもずっと気がつかずに数年も。
灯台下暗しにも程があります。

山路芳久先生。
(お弟子さんがいらしたかどうかは謎ですが、あえて先生と呼ばせていただきます)
若くして亡くなられたので、知る人ぞ知ると言われていますが。
あのミラノ・スカラ座でも役を貰い、日本人として初めてウィーン国立歌劇場の専属歌手となり、バイエルン国立歌劇場専属歌手にもなりました。
世界の著名歌劇場で、日本人テノール歌手が専属として、主役を歌うのは彼が最初であり、日本声楽界にとっての大快挙であったといわれています。
毎年、年末年始だけは第九やレクエイム・NHKニューイヤーコンサートの為に帰国されていました。

当時、小林研一郎先生指揮のヴェルディ・レクイエムにて風邪を引いてしまい、声が絶不調だった市原多朗先生が、テノール・ソロを担当していました。
しかし演奏中、とうとう声が出なくなり、会場で聴衆として来ていた山路さんに、壇上から「山路さん、すみませんが・・・」と代役をお願いし、山路先生はブカブカの衣装で急遽歌った、というのも有名なエピソード。

88年のその年も、日本での第九17公演の為に帰国。
10公演をこなした夜に、突然の心筋梗塞で亡くなりました。
享年38歳。その唐突な死は日本声楽界にとって衝撃となりました。
亡くなる数日前に、第九で共演された木村俊光先生は、山路先生に「次はいつお会いできますかね?」と聞かれたそうです。
普段はそんなことおっしゃった事が無いのに、なんで今日に限ってこんな事言うんだろうと、木村先生は不思議に思ったそうです。

「レコードを出して下さい」と年中お願いされていたにも関わらず、「いや、自分はまだまだ・・・もう少ししたら・・・。」と、謙遜されている矢先に亡くなられてしまいました。
活躍が海外だったというのと、正規の録音が殆どなくて、音源はなかなか入手出来ないと言われていました。
なのにお宝は我が家にありました。

その他いろいろ調べ、二期会公演「愛の妙薬」のハイライトもみつけました。
勿論、十八番の「人知れぬ涙」もありました。
なんだか感動して鳥肌が立ちます。
音楽ってこうあるべきだ!って痛感させられます。
決して声量があるほうではありませんが、天に抜けるように軽やかに、自然でそれでいて輝かしいレッジェーロ。
一度でも生で聴かせていただきたかった。

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